夏の暑い日、いつものように部活。休憩時間になると水道に走り水をガブ飲み。そんな時に、顧問の先生から言われた言葉。
中学時代の部活はバスケットボール部。少年野球をやっていましたが、レギュラーでは無かったし、何か新しいことに挑戦しようとバスケットボール部に入りました。学校の部活と言うのは、顧問の熱心さに成績が付いて来る感じです。
経歴は知りませんが、理科の先生で、バスケットボールにとても熱心な顧問でした。私の学年が二回目の入学生となる新設市立中学校です。三年生は市内の別の中学から移って来ました。(この場合も転向というのだろうか???)
練習は基礎ばかり、腰を落としてガニ股で歩いたり、サイド・ステップやクロス・ステップ、ドリブル、パスの反復練習ばかり。スタミナを付けるために体育館を何回もダッシュで往復する持久走が一番嫌いでした。シュート練習はあまりしないので、シュートが決まらず、自主的に朝練をしていました。
ディフェンスはプレスと言うボールを持っている攻撃の選手に二人で詰め寄りプレッシャーをかけて、ルーズ・ボールを獲得すると言う戦法。やる選手は走り回る体力が必要です。
練習は当然、毎日。土曜日は未だ休みでは無く、午前中に学校の授業があり、給食が無いので弁当を持って来て午後に練習。近くの商店でカニパンを買って食べるのが楽しみでした。日曜日は試合です。公式戦が無い時にも必ず練習試合がありました。
日曜日にはマイ・ボトルで飲み物を持って行きます。中身は最初、スポーツ飲料のゲーターレードでしたが、弁当の飲み物にしたりするので、麦茶にしたり、ファンタにもなりました。冷凍庫で凍らせて持って行くのが流行りでした。
ペットボトルが世の中に登場するのはまだ先です。水やお茶が缶や瓶で売られてもいませんでした。
夏休みになると午前、午後の二部連が当たり前の部活漬けでした。
そんな甲斐もあって二学年上の三年生は、とっても強かったです。身体の大きい選手も揃っていました。地区大会で優勝をして都大会に進出をしました。中学生の体力は正直者でお腹が空いていると力が出ないようです。地区大会の優勝決定は三つ巴となりました。我がM4中とT3中とT8中の争いです。優勝候補は180cmの長身選手がいるT8中。練習試合を何度もしました。
新しい中学で体育館のバスケットボールのボードが透明で格好良く、ボードの上げ下げが電動です。全面使った後の片づけで人力で鎖を回してボードを上げるのは重労働でした。下ろすのは重力で楽チンなのですが。
顧問の選手が厳しく、試合中に良く怒鳴っていて、選手に喝を入れていました。そんな姿に触発されて我が顧問も肩を平手で叩くと言う喝を始めてしまいました。
地区大会前の練習でもT8中対策として、マークするフォーメーションを念入りに確認していました。そしていよいよ当日。T8中の対戦はお昼頃、私たちは弁当を食べて試合に挑み、相手のT8中は弁当は食べないで対戦。
エースの180cmのA君をマークするキャプテンはいつものようにファイブ・ファールで退場。しかし練習通り別の選手がマークを代わりその人もファイブファールで退場、それも練習通り更にマークが代わりエースを抑えて僅差で勝利。二戦目のT3中戦はお腹が空いて力が出なかったのか敗戦。
三竦みの結果となりましたが、得失点差でみごとに優勝をしました。都大会に進出し、都心に出かけての一回戦、お昼ころの試合で今度は弁当を我慢して対戦。都会のもやしっ子(良くマンガに出てくるような状況、小さくて細いのに上手い)に残念ながら初戦敗退でした。弁当を食べていれば・・・。
地区大会で勝利したT8中は全国大会に出場して優勝したと聞きました。優勝チームに勝ったのだから相当なもんです。
翌年は都大会に届かず、三年生になる頃、顧問がヘルニアの手術で入院してしまいました。代わりに女子バスケの顧問が練習・試合を見てくれることになりました。
今まで厳しい練習から一転、自分たちで考えた練習は、シュート練習が多く、時には、跳び箱の踏み切り台を使ってダンクの練習をしていました。強くなるわけがありません。何とか市内一位は確保しましたがギリギリでした。
高校からラグビーを始めて、社会人ラグビーを続けてビールを飲むようになって想い出すのが、水の休憩時間。せっかく練習で汗を出して喉がカラカラになったのに、無料だとは言え水をガブ飲みしちゃうのは何とももったいないなぁと想い出します。水道からビールが出てきたらなんて幸せなんでしょう。
腹がタプタプになるくらい水道水を飲んでいたあの頃の想い出、顧問の先生が大好きなビールはこちらから。
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