ラグビーが日本で最も地域に根付いている街
陸の孤島
かつて地元の高卒ラガーマンを徹底的に鍛えて、朝から晩まで地下に潜り塩を舐めながら鉄を掘る仕事をして、就業後に最先端のラグビーをしていた、旧国立競技場を満員にし、ラグビー・ブームの魁となり、新年の風物詩、1月15日の成人の日に晴れ着姿の新成人が応援に来ることでも話題になったラグビーの日本一を決める社会人日本一と大学日本一の一発勝負の日本選手権に七年連続で勝利して日本一に七度もなった、北の鉄人たちの住む街
1978年(昭和53年)~1984年(昭和59年)の七年間連続で日本選手権を優勝しました。
ラグビー日本選手権は、1960年(昭和35年)に前身のNHK杯から2002年(平成14)まで、社会人日本一と大学日本一が対戦していました。
成人の日は1999年(平成11年)までは、1月15日でした。2000年以降、小泉内閣のハッピー・マンデー制度の制定で1月の第二月曜日が成人の日になりました。

岩手県の沿岸・釜石がその場所です。
10年前のあの日
津波にのまれ全てを失った。
でも釜石の人たちはとっても強い。
悲しんでばかりでは無く、立ち上がり、強く生きています。
ラグビーの街、復興の証として、あの時助けてくれた世界中の人たちに元気な姿を見せて、今度は元気を与えたいと言う気持ちで2019年のラグビー・ワールドカップを開催しました。
あの時、東京の郊外に住んでいた私でも結構強い揺れを感じ、子供たちの安全を確認し、ほっとしました。会社では、避難を迅速にして、被害は建物の一部損傷だけでした。公共交通機関が止まり、工場に宿泊する人たちもいました。課長だった私は川崎の遠方から通っている部下たちを送るために都心に向かいましたが、大渋滞で、通常2時間くらいの道のりを車のテレビでNHKのニュースを聞きながら、ナビで裏道・裏道を探し、6時間かかり翌日になってしまいました。
その後、ガソリンの買い占めが始まり、ガソリン・スタンドはたまに開店すると大渋滞でした。
計画停電でほんの少しですが、不自由な生活も経験しました。
人間誰しも贅沢に慣れてしまうもの。
命があって良かった。
家族が生きていて良かった。
家族と一緒に生活出来ることが、幸せなんだと感じた気持ちを忘れないでいたいです。
あの日を決して忘れない
釜石を応援する
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